P--1201 P--1202 P--1203 #1夏御文章 夏御文章 #21 (1) 抑今日の聖教を聴聞のためにとてみな〜これへ御より候事は 信心のいはれをよく〜こゝろえられ候 て今日よりは御こゝろをうか〜と御もち候はて きゝわけられ候はてはなにの所用もなきことにてあるへ く候 そのいはれを唯今まうすへく候 御みゝをすましてよく〜きこしめし候へし 夫安心と申はもろ〜の雑行をすてゝ 一心に弥陀如来をたのみ今度のわれらか後生たすけたまへと申すを こそ 安心を決定したる行者とはまうし候なれ このいはれをしりてのうへの仏恩報謝の念仏とは申事にて 候なり されは聖人の和讃にも 智慧の念仏うることは法蔵願力のなせるなり 信心の智慧にいりてこそ仏 恩報する身とはなれとおほせられたり このこゝろをもてこゝろえられ候はん事肝要にて候 それについて はまつ念仏の行者 南無阿弥陀仏の名号をきかはあははやわか往生は成就しにけり 十方衆生往生成就せす は正覚とらしとちかひたまひし 法蔵菩薩の正覚の果名なるかゆへにとおもふへしといへり また極楽とい ふ名をきかはあはわか往生すへきところを成就したまひにけり 衆生往生せすは正覚とらしとちかひたまひ し 法蔵比丘の成就したまへる極楽よとおもふへし また本願を信し名号をとなふとも よそなる仏の功徳 P--1204 とおもひて名号に功をいれなは なとか往生をとけさらんなんとおもはんはかなしかるへきことなり ひし とわれらか往生成就せしすかたを南無阿弥陀仏とはいひけるといふ信心をこりぬれは 仏体すなはちわれら か往生の行なるかゆへに一声のところに往生を決定するなり このこゝろは安心をとりてのうへの事ともに てはんへるなりとこゝろえらるへきことなりとおもふへきものなり #22 (2) 抑今日御影前え御まいり候面々は 聖教をよみ候を御聴聞のためにてそ御いり候らん されはいつれの所 にても聖教を聴聞せられ候ふときも その義理をきゝわけらるゝ分も更に候はて たゝ人目はかりのやうに みな〜あつまられ候ことはなにの篇目もなきやうにおほえ候 それ聖教をよみ候事も他力の信心をとらし めんかためにこそよみ候ことにて候に さらにそのいはれをきゝわけ候てわか信のあさきをもなをされ候は んことこそ仏法の本意にてはあるへきに 毎日に聖教かあるとてはしるもしらぬもよられ候ことは所詮もな きことにて候 今日よりしてはあひかまへてそのいはれをきゝわけられ候て もとの信心のわろきことをも 人にたつねられ候てなをされ候はてはかなふへからす候 その分をよく〜こゝろえられ候て聴聞候はゝ  自行化他のためしかるへきことにて候 そのとほりをあらましたゝいままうしはんへるへく候御みゝをす まして御きゝ候へ 夫安心とまうすはいかなるつみのふかき人も もろ〜の雑行をすてゝ一心に弥陀如来 をたのみ 今度のわれらか後生たすけたまへとまうすをこそ安心を決定したる念仏の行者とはまうすなり  P--1205 このいはれをよく決定してのうへの仏恩報謝のためといへることにては候なれ されは聖人の和讃にもこの こゝろを 智慧の念仏うることは法蔵願力のなせるなり 信心の智慧なかりせはいかてか涅槃をさとらまし とおほせられたり この信心をよく〜決定候はては仏恩報尽とまうすことはあるましき事にてさふらふ  なにと御こゝろえ候やらんこの分をよく〜御こゝろえ候てみな〜御かへり候はゝ やかてやと〜にて も信心のとほりをあひたかひに沙汰せられ候て 信心決定候はゝ今度の往生極楽は一定にてあるへき事にて 候 あなかしこ〜 #23 (3) 抑今月は既に前住上人の御正忌にてわたらせおはしますあひた 未安心の人々は信心をよく〜とらせた まひ候はゝすなはち今月前住の報謝ともなるへく候 されはこの去夏比よりこのあひたにいたるまて 毎日 にかたのことくみゝちかなる聖教のぬきかきなんとをえらひいたしてあら〜よみ申すやうに候といへとも  来臨の道俗男女をおほよそみをよひ申し候にいつも体にて更にそのいろもみえましまさすとおほえ候 所詮 それをいかんと申し候に毎日の聖教になにたる事をたふときとも 又殊勝なるとも申され候人々の一人も御 いり候はぬときはなにの諸篇もなき事にて候 信心のとほりをもまたひとすちめを御きゝわけ候てこそ連々 の聴聞の一かとにても候はんするに うかうかと御いりさふらふ為体言語道断しかるへからすおほえ候 た とへは聖教をよみ候と申も他力信心をとらしめんかためはかりの事にて候あひた 初心のかた〜はあひか P--1206 まへて今日のこの御影前を御たちいて候はゝ やかて不審なる事をも申れてひと〜にたつねまうされ候て  信心決定せられ候はんする事こそ肝要たるへく候 その分よく〜御こゝろえあるへく候 それにつき候て はなにまてもいり候ましく候弥陀をたのみ信心を御とりあるへく候 その安心のすかたをたゝいまめつらし からす候へともまうすへく候 御こゝろをしつめねふりをさましてねむころに聴聞候へ 夫親鸞聖人のすゝめまし〜候他力の安心と申は なにのやうもなく一心に弥陀如来をひしとたのみ後生た すけたまへと申さん人々は 十人も百人ものこらす極楽に往生すへきことさらにそのうたかひあるへからす 候 この分を面々各々に御こゝろえ候てみな〜本々へ御かへりあるへくさふらふ あなかしこ〜 #24 (4) 抑今月十八日の前へに安心の次第あら〜御ものかたり申候ところに 面々聴聞の御人数のかた〜いか ゝ御こゝろえ候や御こゝろもとなくおほえ候 いくたひ申てもたゝおなし体に御きゝなし候ひては 毎日に をひて随分勘文をよみ申候その甲斐もあるへからす たゝ一すちめの信心のとほり御こゝろえの分も候はて は更々所詮なき事にてさふらふ されは未安心の御すかたたゝ人目はかりの御心中を御もち候かた〜は  毎日の聖教にはなか〜聴聞の事無益かとおほへ候 そのいはれはいかんと申候にはやこの夏中もなかはゝ すきて廿四五日のあひたの事にて候 また上来も毎日聖教の勘文をえらひよみ申候へとも たれにても一人 として今日の聖教になにと申したることのたうときとも また不審なるともおほせられ候人数一人も御いり P--1207 候はす候 この夏中と申さんもいまの事にて候あひた みな〜人目はかり名聞の体たらく言語道断あさま しくおほえ候 これほとに毎日耳ちかに聖教のなかをえらひいたし申候へとも つれなく御わたり候こと誠 に事のたとへに 鹿の角をはちのさしたるやうにみな〜おほしめし候あひた千万々々勿体なく候 一は無 道心一は無興隆ともおほえ候 この聖教をよみまふし候はんもいま三十日のうちの事にて候 いつまてのや うにつれなく御心中も御なをり候はては真実々々無道心に候 誠にたからの山にいりて手をむなしくしてか へりたらんにひとしかるへく候 されはとて当流の安心をとられ候はんにつけてもなにのわつらひか御わた り候はんや 今日よりしてひしとみな〜おほしめしたち候て信心を決定候て このたひの往生極楽をおほ しめしさためられ候はゝ まことに聖人の御素意にも本意とおほしめし候へきものなり #25 (5) この夏のはしめよりすてに百日のあひた かたのことく安心のおもむき申し候といへとも 誠に御こゝろに おもひいれられ候すかたもさのみみえたまひ候はすおほえさふらふ すてに夏中と申も今日明日はかりの事 にて候 こののちもこのあひたの体たらくにて御いりあるへく候やあさましくおほえ候 よく〜安心の次 第人にあひたつねられ候て決定せらるへく候 はや明日まての事にて候あひたかくのことくかたく申候なり  よく〜御こゝろえあるへく候なり あなかしこ〜 P--1208 #1夏御文章     [この第四章の末語文勢義旨おたやかならさるににたり 先哲の述意はかりかたしといへとも窃にかんかふるにこれ     後人第五章をもてあやまりて第四章に混せるもの歟 かるか故に改て両軸となす 今より聞ものをして惑なからし     む 予臨池の技にふけるにあらす 実に門下の道俗をして金剛心に住し生を安養に期せしめんと欲するかためこと     さらに觚をあやとりてこゝろをこゝにつくすのみ]       [安永七戊戌春書之]                                              [法如七十二歳]